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Channel: 河崎純 Jun Kawasaki 音楽活動の記 
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河崎純音楽詩劇研究所 バイカル・黒海プロジェクト 日記 (その2 ウランーウデ ブリヤート共和国/ロシア)

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 シベリア鉄道でウラン=ウデに移動。7時間程度。バイカル湖沿いを行く。青い、蒼い。10年以上ぶりのロシアの長距離鉄道。停車駅で人々を眺める。車窓に頭をつけてそれを眺める人々を、さらに私が眺めている。ロシアやトルコでもよく見る風景だが、特に商いに関して、あまりにも非合理的に見える風景がいつも印象に残る。人々が買わぬものを作り売り続けている。それを繰り返すことが、与えられた生の逃れられない定めであるかのように。合理的な「工夫」というものが感じられぬその姿に、なにか安堵のような感覚も覚えてしまう。苺は一つも売れず、なにか呟きながら、走り出す長い列車を目で追う。季節こそ異なるが、それは十数年前、モスクワから北の街アルハンゲリスクへ向かう列車で見たのと同じ景色。そのときは雪降る前の秋の黄色い景色。




 

 鉄道の長さと同じだけ長いプラットホームのウラン=ウデ駅に到着。モンゴル系のブリヤートの人々。後に共和国の人口比率としては30パーセントと知るが、バイカルの西、イルクーツクとの違いは、生活の場が、スラブ系ロシア人や他民族と混ざり合っているという印象。ソ連時代のある種屈折した民族共和政策をみることができる。ロシアのなかのアジア、というよりも、アジアのなかのロシアといってよいのかもしれない。モンゴル経由のチベット仏教、ロシア正教、ブリヤート固有のシャマニズム信仰。書きながら思い出したのだが、先に書いた、駅での物売りには中国、アジア系の人の姿はなかったように思う。ブリヤート、アジアの街にきたと実感。日本人の起源の一つであるという。小さく裾の広い山々。工場の煙突。中1程度のロシア語で、メンバーのレストランでの注文や買い物のお手伝い。



7/14

 マリーアさんがイルクーツクより鉄道で一足遅く来る。ぜひ彼女も含めリハーサル前に、少数民族の暮らしや家、資料が閲覧できる巨大なテーマパーク?自然公園?(ザバイカル民族学博物館)へ、みんなで行きたいと思い、無理をいって通訳のアレクサンドル(サーシャ)にアレンジしてもらう。住居などの実物も貴重であることはもちろんだが、シャマニズムや、文字の導入、ソ連邦のなかでの位置づけなどの資料や写真も興味深かった。わたしたちの上演作品の原作に描かれたエヴェンキ族に関するものも多数。エヴェンキ族は現代の朝鮮人の祖ともされていて、実際「アリラン」の言葉の無意味語(「アリラン」、「スリラン」)のいくつかはエヴェンキ語に共通するらしい。古代朝鮮系民族と大和民族の繋がりを否定できない嫌韓論者のなかには、エヴェンキ族を現代韓国人の祖とし、現代の韓国人と日本人の繋がりを否定する根拠にしたりしているようだ。インタネーット上にはそのような汚く貶める言葉を沢山見ることができる。エヴェンキ族は彼らにとっては、無条件に蛮族として貶斥の存在ということになる。この作品にとりかかった時点では、この地にいることは考えもしなかったことであり、昨年モスクワでこの地での公演を示唆してくれたセルゲイ・レートフさんにはほんとうに感謝である。見学後18日の会場エスノギャラリーオルダでリハーサル。12日とは全く異なるアレンジを、二声のヴォーカル表現を中心にアイデアを出しながら探る。マリーヤの的確なスコアリーディングが即興表現をより豊かにしてゆく。さりげないアイデアに自己主張はない。声のアンサンブルのアイデアが次々と出てくる。今後のユーラシアンオペラへの道に欠かすことが出来ない存在だと思った。





7/15

 フェスティバルの送迎車で一時間ほど車に揺られというより、カラダを車体にぶつけながら会場へ。黒海方面とのSNSでのやりとりも続くので毎日3時間ほどの睡眠だから、それでも眠る。会場に着く。草原の丘。野外フェスティバル。この作品と大きく関わるこの地で声を響かせることが出来ることに感慨を覚える。それに浸る間もなく。控え室でブーザ(肉まん)をご馳走になっていると、リハーサルを終えたブリヤートの歌手ナムガルもあらわれた。渡航確定の時期が遅れたためにメインステージを確保できず、サブステージとしてわれわれにあてがわれたのは、なんとも頼りない小屋を輪切りにしたような場所であった。それはそれで気に入ったのだが、メインステージからエスノロックなサウンドが大音量で草原にこだまするので、さすがにやりにくい。仕方なくそれなりに語気を強めて交渉。アジア系中心のフェスのなかで、隣は呑気そうなロシアの農民の遊びや祭、それからこの地に存在する、ロシア正教の古儀式派(セメイスキ)の祭を再現していた。明るいサウンドと踊りだった。そういえば、と思いマリーアのルーツを尋ねると、母方のルーツがこのセメイスキとのこと。われわれのステージはさっきまでそこでショーをしていたセメイスキのみなさんが優雅にそこで食事をしていたその場所である。


 
 小屋でのリハーサルを終えて、出番直前に進行をいそいそと打ち合わせていると、通訳の若い学生がやってきて、日本語で、機材が燃えたのでできないとのこと。笑う(笑)。結局、メインステージでラストに出演することに。大音量、舞台の大きさや使い方を想定して構成を考え直すために、陽の落ちたメインステージを観に行く。演奏は23時半とのこと。酒でも飲もうとするが、出店も店じまいして、この広い草原からビールは消えてしまった。メインステージから遠く離れ、闇に包まれつつある会場の入り口付近にある野外設営の便所の帰りに、われわれが演奏するはずだった小屋をみると、はかない蛍光灯に底だけが照らされていて、なにか西洋のおとぎ話に出て来る田舎の小屋のような佇まいだった。静かな環境なら、ひっそりここでショーをしても美しかったなぁと思うが、いざメインステージへ。群がる蛾とその死骸。サウンドチェツクなしの、セッティングの間、なにを応答しているのか分らないけれ、マリーアがMCとやりとりして埋めてくれている。本番開始、あとはやるだけ。





7/16

 映像の三行さんは撮影で休みなし。私やそれ以外のメンバーはオフ。ノボシビルスクからきたりかおさんの友人のブリヤート人、サーシャさんが街を案内してくださる。サーシャさんはバレーの振付家。まだ50才を過ぎたばかりだが、引退して年金生活を送っているそうだ。チベット密教寺院を見学。はじめてラマ僧のお経を聴く。街を一望できる丘に立つ。正教会の屋根もみえる。もちろんシャーマニズムには大きな寺院、聖堂などはない。その後、レーニンの巨大な頭像を観に。さしずめ無宗教時代の「聖像」である。写真でみるとチープな観光名所に見えたが、本物は大きかった。いつ頃どういう経緯で出来たかは聞いても分らなかったが、信仰入り乱れるこの土地では、社会主義への求心力としてこのくらい巨大な頭像が必要だったのかもしれない、などと想像する(1971年に出来たようだ)。今年はロシア革命100年。岩田守弘さんが芸術監督をつとめる国立バレェ劇場の脇には、バレェダンサーの男女の銅像がある。われわれはそこで記念撮影などしていたが、ひとしきり撮った後、ほんの短い間、それを、自らの生きてきた道を思い返すように一人見つめるサーシャさんの眼差しが印象的で、こっそり写真を撮ってしまった。その後本屋に立ち寄りサーシャさんにブリヤートのことをいろいろ質問する。シャマニズムの現在や、生活、習慣。朝まで話せるとおっしゃっていた。ブリヤート族はわたしたちのユーラシアオペラ作品でベースにしている中国の女性が書いた小説に登場するエヴェンキ族と近い存在であるが、エヴェンキ族とは異なり、モンゴル文化の影響が強くそれに伴いチベット密教、比較的早い段階での文字社会の受容があり、文字に関しては、書道の伝統も残っている。言語として印象的だったのはロシア語のキリル文字ではあらわせない音が、キリル文字の特別表記としてさらに33文字あるということ。それだけ複雑な音の種類を使い分けるということだ。音の種類と旋律の密接な関係はとても関心がある。たとえば日本語は表音文字31文字で母音のみと子音母音の組み合わせからなるが、それは、音素数としては少ない方だ。音素が少ないと旋律的要素や節回しがより重要になる。音素が多いと言葉そのものの表情が多様なので、それらがより少なくなる傾向があるように感じる。ブリヤート族の歌はどのようなものだろうか。もっと知りたい。



 あとで調べたところによると、我々が記念撮影したバレェ劇場の踊る男女の銅像は、有名な「麗しのアンガラ」というバレェ作品のヒロインと相手役。ヒロインはアンガラ(西ブリヤート族の娘 アンガラはイルクーツクを流れるバイカル湖から流れる唯一の川。)は、ロシア人の青年エニセイに一目惚れされる。アンガラは父バイカルが富豪イルクートに嫁がせようと制止するをふりほどき出会うことになります。あの銅像の前で束の間佇んでいた元バレェダンサー、振付家のサーシャさんもきっとこの作品も演じたことであろう。エニセイではないはずだから、父親による呪いの風の悪霊かもしれない。悪霊の音楽(黒い旋風)はブリヤート民族音楽の打楽器的、シャマニズム的要素が引用されたようだ。植民地主義的発想ではある。この作品はロシア人とブリャート人の友好を描いた作品であるとのこと。





7/17

 朝からリハーサル。前日にマリーアはイルクーツクに帰ったので、日本人のみ。みなで知恵を絞る。マリーアや「最後のシャーマン」を演じる亞弥さんがいないからということともまた違う不在を強く感じるが、その不在ということ事態を表わせばよいのだ、という答えに至る。そこからは構成が出来るのが早かった。この作品をはじめて2年。今回少人数ながら工夫をし、作品の本質的な部分がやっとみえてきたようだった。帰国後、またフルメンバーであらためて作るのも楽しみである。そこから新しいアイデアも生まれた。三浦宏予さんが、コントラバスを弾きながら舞うオープニング。ダンサーは、ものを美しくみせる。私もダンサーではないがそうありたい。美しいものを獲得したり購入したりするのではない、そのものが美しくあるために私という存在があること、できること。韓国のドラを宏予さんが抱いた時、ドラが語る表情の美しさや歴史。そして三木さんが小さなドラを丹田あたりでまわし続けて歌う。まるでアルメニアのパラジャーノフの映画のワンシーンのように。それを私が演じる、彼ら(エヴェンキの部族)の文化や慣習を収奪するものが、近代、科学、合理性、健康、教育、、、、大義をかざし奪い取る。もちろんその大義は否定できるものではない。

 
 リハーサル後はサーシャの振り付ける子供劇場?的なものを見るためにキャンプ(ラーゲリ)へ行く。ラーゲリといわれると、はっとする。キャンプ=ロシア語でラーゲリだが、ラーゲリというと、「収容所」を思い出してしまう。とりわけ、日本では、シベリアの日本人捕虜収容所を。石原吉郎、鳴海英吉、内村剛介、その言葉を上演台本に用いてきた。そしてオシップ・マンデリシュターム。マンデリシュタームがシベリアから空想のアルメニアを謳った難解な詩篇を新潟大学の鈴木正美さんに翻訳してもらい、トルコで知ったアルメニアの作曲家コミタスのことを、渋谷のUPLINKで作品にしたのは数年前。そのときはセルゲイ・レートフが一緒だった。

 バスに揺られて行くと、それは郊外にある、子供のための広大な野原と宿泊施設。夏休みのサマーキャンプの場所だが、もしかしたここはらかつての「収容所」跡かもしれないと、捕虜や囚人の極寒、熱暑のラーゲリも想像した。子供劇団にはサーシャのまだ10歳になる女の子がバイカルアザラシの役で出るとのこと。髪を頭で二つ結った、シャイで愛らしい子。40人ほど子供が客席にスタンバイした。しかしふたを開けるとそれは子供劇団ではなくサーシャの家族劇団のバレェ・ショーだった。二十歳を過ぎた息子も手伝う。観客の子供たち参加型の遊びの要素も含まれているし、忘れられてゆくブリヤート語教育の要素も含まれていた。バレェのことは詳しくないが、小屋の中で赤いタイツをはいて踊るサーシャ。ロシア人の中では格段に背が小さいはず。西洋バレェ的な身体に恵まれているとはいえない。岩田さんもそうだったであろうが、早く振付家になったのはそのためであろうか。ロシアでは、その時代を知っているサーシャがそういうのなら、ソ連時代から子供の習い事が盛んであるという。サーシャさんもそんな風に10才の時、習い事の一つとしてバレェをはじめたそうだ。いわゆる勉強のための学習塾ではない。受験「産業」中心のの日本ではこの状況は考えにくい。こういう時期にスポーツや芸術に対する完成や素養が磨かれるということだろうか。またソ連時代は人材輩出という目論みもあったのだろう。なお現在の大学進学率(ほぼ国立)が多いが、ブリヤート人では90パーセントとのこと。両親のいない子供(学費無料)や母子(父子)家庭、障害への補償は厚い。ソ連時代の教育は非常に高度なものとして優れた教科書なども紹介されている。ソ連時代の社会保障制度の名残か。日本では課外教育における差。そこにかけるお金の差が、学歴等の格差に如実に関連しそれに比例する。ふと思い出すシベリア鉄道での風景。地下道や街頭で売るジャンク品のようなものの商売。トルコのイスタンブール、ガラタ橋でもよくみる体重計の測量サービス。需要と供給の非合理生、生き方と教育はどのように関係あるのか?あるいはさらに根深く民族固有の人生観と関わるのか。




 

7/18

 バイカルプロジェクト最終本番。お世話になった方々も見に来てくださる。イルクーツクとは客層が異なる。イルクーツにも多くの中国、モンゴル系、ブリヤート人の方がいたが、観衆の中には、アジア系の方は数えるほどもいなかったはずだ。文化や習慣は分離している。ここウラン=ウデはそうではない。宿に帰る途中のスーパーの外にいつもたむろしている老年の小集団。タバコをせびられたり、言葉が通じていないのに長く話しかけてきたり。アル中っぽくもある。アジア系の「良い顔」!この老年の小集団にはロシア系の人もまざっていた。とても印象にのこる顔の人たちだったので、毎日絡まれるのが楽しみだった。もしかしたらみな幼なじみなのかもしれない。日がな一日タバコを吸い、酒を飲み何のうわさ話や思い出を語り合っているのだろうか。毎日通った食堂。憂いある表情で恥じらう10代半ばの娘と、素直でお手伝いを良くする10才前後の息子。夏休みなのでいつも店で手伝いをしている。この子たちにお土産を手渡すべく、店に立ち寄るがけっきょくごちそうになってしまった。店主はキルギスタンに出自をもつウズベキスタン人。テュルク系の味と顔立ち。





 本番。メンバーの集中力が高い。最後のパート、観客も含めてドローンを歌い、歌が混ざりあうことを目論むがこれはほぼ失敗。終演後、件のチュルク(トルコ)系の顔の店主が声をかけてくれた。黒の正装気味のシャツでわざわざ見にきてくれたのだった。黒海へ、イスタンブールに向けての橋がかかったような気もした。ウォッカ飲む。

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